250万自転車操業~何より恐いのは嫁バレ~

自転車操業をしながら日々を送っています。命題は嫁にバレないこと!です。そんなリアルな事情を赤裸々に語っていきます、、、

ギャンブル依存症患者は常に何か(誰か)のせいにする

こんにちはひろきちです。


今日はいかにして僕がギャンブル依存症となり、250万円もの借金を作ったかを記しておこうと思います。今から書くことはタイトル通りの内容であり、結局は自分の意思が弱いという事が大きな原因ということもわかった上で掘り起こします、、、、、









18歳(高校3年)・・・友達の家にあった大花火を初めて触る。この時には大して面白い
とも感じず、こういうもんなのかという感じ。



19歳(大学1年)・・・夏までは真面目に大学にも行き、当時付き合っていた彼女と旅行する目的でアルバイトに勤しんでいたが、夏休みに破局。自暴自棄になってそれまで稼いだ金を無性に使いたくなり、なにもわからずパチンコ屋へ。この時は勝ったのか、負けたのかは覚えていない。
 傷心のまま夏休みを地元過ごしているときに、高校の同級生から本格的にスロットを教わる。この時に覚えたのは初代花火。リプレイ外しも15枚役も揃えれなかったが、当たり1回で6000~8000円になるスロットが当時の僕としてはすごく大人な遊びに感じ、パチンコ屋の煌びやかな雰囲気とうるさいまでの音楽などが手痛い失恋の傷を癒してくれるような気がしていた。今考えるとそんな別れなんてよくある話なんて思えるが、当時はもう軽い人間不信気味で、大学でサークルや友達、合コンなどよりも、パチンコ屋で機械相手にスロットをしていた方が気が楽だった。



19~22歳(大学1~4年)・・・この時には完全に大学生と言うよりはスロプーに近い毎日を送っていた。仕送り=軍資金、教科書代=軍資金、しかし、4号機ST全盛期であり、大学生で時間もあったため、大して負けないで過ごしていた。が、金は常になかった。
人生初の借金は学生ローンで10万円を借りて、当時新台だった旋風の用心棒で全部スッたのは今でも覚えている。結局、しばらく借りていたが吉宗か旧北斗かなんかで大勝した時に返済してから、借金はするもんじゃないなと強く胸に刻む。







大学生活編までは以上です。タイトル通り、さっそく別れた彼女のせいにしてますよね。
他の人に言えば、なんてバカな時を過ごしたとよく言われますが、この時の生活は親には申し訳ないですが、楽しかったです。
朝から閉店まで打って、次の日が待ち遠しくて寝れなかった日もあります。スロ友と閉店後の深夜のファミレス、カラオケ、ビリヤード、明け方に仮眠をし、朝イチでパチンコ屋へ並ぶ。この借金ブログを見ていただいてる方にも気持ちがわかる方はいらっしゃるんじゃないでしょうか。この当時の僕はかなりの依存度だったと思います。


この流れで社会人とになり、ある程度の収入を得るようになって堕落具合が加速していきます。次回は社会人編~現在を記していこうと思います。
それではノシ